足跡を残さないあなたとわたし
- Sara Mizuki

- 2月26日
- 読了時間: 4分
以前noteで執筆していた約半年。
フォロワーは300人にも満たなかった。
それでも有料記事を二本上げたら、合計で50部ほどが売れた。
驚いたのは——普段やり取りのない人や、名前も知らない読み専の人まで購入してくれたこと。
見えている数字だけが、すべてではない。
足跡のない誰かが読んでいる。

「読まれるためのノウハウ」を売る人が至る所に溢れている。
それを間違いだとは言わない。
しかしその多くは私の美学に反する。
世間一般のSNS戦略に従えば、わたしの魂は削られていくだろう。
それでも葛藤はある。
本当に届けたい人に、どうすれば届けられるのか——。
見えない読者に向けて言葉を放ち続けるとき、暗闇の中で声を出しているように感じることもある。
けれどそのたびに、なぜ書くのか、なぜ残したいのかという核を思い出す。
その核には三つの思いがある。
生き様を遺したいという衝動。
娘に何かを手渡したいという願い。
言葉にしづらい、使命感のようなもの。
何者かになりたくて発信する人もいれば、感情を吐き出すだけの人もいる。
目的は人それぞれで、どれも正しい。
たとえ誰にも届かなくても、私は生き様を遺したい。
最後に娘に、私の思想や哲学を手渡すものとして機能するなら、それだけで十分だ。
そして——
使命を信じる。
1000人のフォロワーがいても、
戦略だけで集めたうわべだけのつながりばかりなら、私には興味がない。
100人のフォロワーでも、
たった一人、共鳴し合える人に出会えるならそちらがいい。
あるとき、「スキ」(いいね)を誰かに押したことを咎められることがあった。
足跡が見えるがゆえに起きた出来事だ。
それ以来、SNSに足跡を残すこと自体を意識するようになった。
静かに読んで、静かに去る——その選択が、今の私らしい。
ノイズから遠ざかったことで、自分の内側の声がクリアに聞こえるようになった。
あの出来事は制約ではなく、静けさの中に戻るための小さなギフトだったのかもしれない。
フォローバック狙いで手当たり次第フォローしたり、
心が動いていないものに足跡を残したりすることは、私にはできないのだ。
けれど——
足跡を残さないわたしもまた、あなたの記事を読んでいる。
noteをやめて居場所を作るとき、私は作品の質が問われる大海原に飛び込むことを選んだ。
YouTubeにはフォローバックの恩恵はない。
時間をかけて積み上げることに意味がある——だから私はまずYouTubeを選んだ。
そして「書く」場所としては、自分のHPを立ち上げた。
誰にも邪魔されない、森の中の家のような場所。
なかなか見つけてもらえなくても構わない——今はそれで十分だ。
そこに言葉を積み重ね、時を経て、いつか浮上するのを待つ。
そしてSubstack。
まだ英語圏が主流のこの場所で、英語で書くことを選んでいる。
母語ではないからこそ、本音が出やすい。
日本語で書くときは、無数の「読まれ方」への意識が走る——
誰かを傷つけないか、誇張に見えないか、身近な人にどう届くか。
言葉を選ぶたび、小さな検閲が働く。
英語にはそのノイズが少ない。
文化的な文脈から少し離れた場所で、より素直になれる。
それはアイデンティティの翻訳ではなく、拡張だ。
日本語の私が書けないことを、英語の私が書く。
HP、YouTube、Substack——三つの母艦。
完璧を待たずに進む。
完璧を待っていたら、永遠に出港できない。
進みながら整えていく——それだけを、今は信じている。
足跡が見えない設計を自ら敷く。
どこかの誰かわからない人が読んでくれている。
私はいま、一つの検証に踏み切っている。
アルゴリズムやフォロワーの数字から解放された場所に、自分の本質を置く。
共鳴の磁場は、そこに自然と生まれると信じている。
きちんとした価値提供につながるのであれば、SEOを超えたAIO*が、必要な人と人をつなげてくれる——
そんな未来も、少なからず期待している。
魂が響き合う人同士が、小さなコミュニティの中で結びつく世界——
支配層の下ではなく、横につながっていく。
私の検証は、数年後どう展開していくか。
Let's see what unfolds.
You are the witness.
SARA
*AIO(AI Optimization)とは、検索エンジン最適化(SEO)に代わる概念として注目されつつある考え方。AIが情報を選別・推薦する時代において、アルゴリズムではなく文章の質や文脈の深さによって、必要な人に届く——そんな可能性を指す。

